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石原慎太郎が天才と認める田中角栄の人生とは!?

天才

石原慎太郎

現在、情報番組や報道番組において政治学者で東京都知事でもある舛添要一氏がお金にまつわる政治資金の使い方が不適切として、都議会やマスコミ、東京都民の人々に批判を浴び、進退問題にまで上ってしまった。特に最近では、一般に政治とお金というのは常に政治問題になり、出処進退にまで発展するケースが増えている。

 

元東京都知事の石原慎太郎氏も、昭和の時代にかの現太閤といわれた総理大臣を金権主義、金権政治の代表的な政治家として最初に批判し、真っ向から弓を引いた人間であった。


その作家でもある石原慎太郎氏が余生の生活に入ってから書き上げたのが、田中角栄元首相に成り代わり、一人称というスタイルで田中角栄氏の人生を回想する小説『天才』(幻冬舎発行)を出版したのだった。 

天才政治家と石原氏の関連性

かつて、石原氏は田中元首相のことを「金権政治家」として批判していたが、この本では政治家の天才としてと高く評価している。

 

昭和期の総理大臣として絶頂期に会った頃、突然として「ロッキード事件」に巻き込まれ、その地位を無慈悲にも奪われてしまった田中角栄氏を、石原氏は「政治の天才」と言う形で、この国においてはかけがえのない人材であったとし、改めて知ることになるとして出版の意義を力説しているのである。

 

一般に、天才というのは天性の素質に恵まれて、その時に応じて才能を発揮する者とされるのあり、知的活動や政治的分野における天才の成り立ちを伝記などから紐解く限りでは、多くが幼少時から才能の示すものが多いものもあるが、必ずしも彼らが幼時から天才として認知されているとは限らないとしている。

 

その点で政治的な分野ではその手腕を石原氏は、近代においての元総理の田中氏を天才と認知しているのである。

 

実は、田中角栄に関する書籍は最近では少なくなったが、田中氏が亡くなった後においては結構、本屋さんには過去多くの著作が出版されており、不詳の小生も数冊に亘って読んできた。

 

その為に最近の石原氏著作の「天才」という本は多くの此等の多くの参考書籍や文献と程よく引用している点で内容的には目新しさは感じられないが、忘れかけている昭和の天才と言われた田中氏を平成の時代になって一冊の本としてまとめた。

 

そして、改めて昭和の政治家として田中氏の全容を知るためには、タイムリーで効率的であり、解りやすくなっている点が評価できるようには感じるのである。

 

特に最近の平成の世になってからは、政治家は非常に小粒になってきたとも見られていて、何か事が発生すると謝罪や辞任、辞職が大流行であり、其の点から見ても改めて田中角栄氏の本物の政治家としての人物像や人間としての大物ぶり、実行力を再発見した思いがある。


つまり、あからさまに言うと戦後の日本を創り上げ創造してきた偉大な政治家の一人として認知したくなるような人物であり、其れを著した石原氏の筆力も賞賛されるものと言えよう。

昭和の宗匠・田中角栄氏の現実的な実績

田中角栄氏が政権を担っていた頃、実は著者である石原慎太郎氏は若手のホープの政治家として田中に対抗した人物でもあり、併せて芥川賞作家という肩書の文才を持っている人物でも有った。

 

したがって、この作品は作家自身が主人公の田中となって、石原氏が一人称で「俺」の名のもとに田中角栄自身となって生涯を綴ったこの作品となったもので、石原しの創作部分もかなり見受けられるようだが、実際はノンフィクションの域が8割以上は有るとされる力作となっているのが特徴でも有る。

 

昭和の政治家田中氏といえば、高等小学校卒という低学歴ながら彼の著作である「日本列島改造論」を引っ提げて総理大臣に就任、比類なきまでにその政治的決断力と必ず成し遂げるという実行力で、実際に日中国交正常化や関越自動車道等の各地の高速道路網や上越新幹線等を整備するなどの、激動の昭和の政治を牽引した田中角栄であった。

 

田中氏の出身は豪雪地帯の御存知の新潟は上越地方であるが、川端康成の雪国で「トンネルを抜けると雪国であった」という下りは同じ越後・新潟でも越後湯沢のことであったが、こちらの上越地方はさらなる大の雪国。 


この地方は一昔前までは大雪の降る日本海側を「裏日本」と称し、雪の少ない太平洋側を「表日本」と称していた。

 

この裏日本で雪国出身の昭和の宗匠である田中角栄氏は「上越国境の山地をブルドーザーを総動員して削りとってしまおうか」という、冗談かソレとも本気とも取れる発言をしたことは有名だ。そして遂に彼はブルドーザーを動員して造り上げたのが今の関越自動車のであった。

 

それ以降、高速道路は全国に広がり高速道路網が平成の時代になって実現したのであった。

戦国期の太閤秀吉に喩えられた「現太閤」

そんな希代の政治家の田中角栄氏といえば、当時は類まれな話術と人たらしとしても知られ所謂、権謀術数と人心掌握術に注目が集まるが、実は内心は人一倍デリケートな面もあり、昭和時代に流行した浪花節と映画をこよなく愛した家族思いの人情家だったとされている。

 

その経歴からからみても戦国期の太閤秀吉に喩えられ、今太閤とか庶民宰相として国民に絶対的に支持され、当時は最高の内閣支持率を得た。

 

その後は、ロッキード事件で数億円とも言われる受託収賄罪に問われて有罪判決を受け、その後は病魔に襲われ志(こころざし)半ばで引退することになる。 

 


 

石原慎太郎氏によって、久しく偉大な伝記に出くわしたが、現在の政治家に必要な要素を一番持っているのがこの田中氏であったことが良く分かった。

 

何時の時代にも、善良ばかりでは良い政治はできないようで、少し悪いことでも大きい事、日本を変える様な政治姿勢、そして類まれなる経済の立て直しは出来ないと思う。

 

田中角栄氏の時代を知らない平成の人々が増えるにしたがって、彼のような私利私欲のない偉大な政治家の再来を望む声は高まる一方ながら、現実はやはりと言うか細身の党利、私利に泳いでいる政治家も多く見られ、田中角栄氏の時代を良く知る小生たちにとって、本当にこのままで良いのかと改めて問いたいのであり、彼のような大政治家の再来を持ち望んでいる。