火花
又吉直樹
人気お笑い芸人「ピース」又吉直樹が処女作にして芥川賞を受賞した小説「火花」。エンターテインメント小説ではなく、文学の中でも一番難しいジャンル、純文学。
是非チャレンジして欲しい。これまでハードルが高くて嫌煙していた純文学が、お笑い芸人の世界を気軽に覗く感覚で読めてしまうのだ。
その一冊を読破することで、これまで見たこともない光景が眼前に広がる、そんな体験を是非して欲しい。
エンタメ小説と純文学の違いがわかる大人になりたい
小説を読むことを趣味とする人はそう多くない。ようやく遭遇した趣味「読書」の人でも、よく聞いてみるとミステリや恋愛などのエンタメ小説を読んでいることがほとんどだ。
でも、又吉直樹が書いた純文学はそういったエンタメ小説ではなく、文章の芸術としての小説だ。純文学を読むことはエンタメ小説を読むように、あらすじを理解するとか、結末を楽しむということではない。
文体そのものを味わう、そこに流れる濃密な時間に身をゆだね、新たな人生への切り口を見出すきっかけとなる自己を見つめる時間としての小説である。
思考力は高度な言語力によってしか成立しない
思考することに不可欠なのは、高度な言語スキル。高度な思考をするために必要な精神の聖域があるとしたら、それはこういう場所ではないだろうか。一本の道をブレることなく辿り、さまざまな体験を経て着いた先にある静かな場所である。
自分ひとりでその境地に辿り着くことは不可能だ。だからここで純文学の力を借りよう。それも硬い内容でなくていい、お笑い芸人の世界を覗くだけだ。興味本位でいいのだ。
思考の旅の最初のステップにチャレンジすることで、読む前の自分と読んだ後の自分が違っていることを体験できるのである。思考することの指南書は巷に溢れているが、考え方を提示されるから思考するスキルが身につくわけではない。
自分ではない優れた他者の高度な言語スキルに裏付けられた人生を、自分ではない優れた他者として疑似体験する、そこで人は必ず絶望する。こんなことを考える人間がいるとは知らなかった、という絶望だ。それを純文学は最初から最後まで味わわせてくれる。その絶望体験が、それまで足りなかった思考スキルを磨くのだ。
大人になった自分が理解したと思っていた世界の成り立ちを、一度完全に破壊する。そこから再構築する世界が、それまでの自分では成し得なかった新しい景色を描くだろう。
又吉直樹と芥川賞を同時受賞した作品タイトルがここにぴったりとハマる。「スクラップアンドビルド」。
熱海の花火大会での営業で幕を開ける青春小説
本を開くといきなり明治の文豪を彷彿とさせる硬い文体の情景描写で始まる。お笑い芸人なのに笑いの要素を一ミリも感じられない。改行のないびっしりと敷き詰められた文字、まさに純文学、難しい匂いがプンプンする。
でも、ここであきらめないで欲しい。又吉直樹はお笑い芸人だ。小説でも確実に読者を惹きつけて笑わせてくれる、そう信じて読み進めよう。
少し難しい文章でも、テレビで見てなんとなく親しんでいる芸人の世界なら理解しやすいはずだ。そうやっているうちに、又吉直樹が誘う思考の世界の旅に読者はすっかりハマってしまうだろう。そうなったら後は流れに身を任せて読破するだけだ。
破壊と再生が生きる力を強固なものにする
又吉直樹の高度な言語スキルにぴったりと寄り添い読み進めることができた読者は、この小説のクライマックスの語りの文章できっと号泣するだろう。
これだけ頑張って生き抜いてきた人間が、こんな気持ちを味わうのか?果たして自分はこんなに何かに真剣に向き合ったことがあるだろうか?
そこで体験する感情は決して万能感でも、達成感でもない。高度な言語スキルに裏付けられた人間だけが味わう人生の真実とも言える形である。お笑い芸人としても作家としても成功した又吉直樹が、読者を極上の絶望へと誘う。
でも、心配しないで欲しい。生きる気力を削ぐような絶望ではなく、それを味わうことで生きる気力がみなぎるような絶望である。その味を理解したとき、読者の眼前では破壊と同時に再生が起こるだろう。
まとめ
一口では語れない純文学の世界の一歩に踏み出すことができたら、新しいステージを獲得できる。しかし、これまでその一歩を踏み出すには相当の覚悟と勇気が必要だっただろう。
でも、又吉直樹がお笑い芸人の世界を純文学で書き上げてそのハードルを格段に下げた。それを、最高のギフトとして受け取らない手はないはずだ。