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大放言からカエルの楽園まで、今の日本について百田尚樹が思うこと

カエルの楽園

百田尚樹

百田尚樹著の『カエルの楽園』を読んで

この「カエルの楽園」を読む前に、昨年出版されて「大放言」という同じく彼の著書を読んだ。

 

この二冊の本に共通するところは、今の日本と言う国の姿とか言論、マスコミ等のあり方を、ある意味で痛烈に批判的に書いていること

 

このカエルの楽園は、確かにカエルが全てにわたって登場しているが、ただ単にカエルの国の物語ではなくて、今の日本の姿をカエルに例えて実に風刺的にして書かれた物語である。

 

例えば、登場する国の名前からしてナパージュという国名は、即ち、NAPAJですので「JAPAN」(日本)である事が分かる。そして、時折登場してくる大事な要素として「三戒」と言う言葉があるが、これは即ち、日本国憲法9条のことであることが分かる。

 

三戒とは即ち、「カエルを信じろ」、「カエルと争うな」、それに「カエルは争うための力を持つな」ということが判り、日本国憲法のうち憲法9条があれば日本と言う国は守られていると言う意味になる

 

著者の百田尚樹氏は今の日本という国を憂いていて、特に、憲法の改正や第9条を何と足したいと言う事を、カエルと言う比喩を使用して読者に訴えている事がわかるのである。


そして、登場する主要なものとしてナパージュ(日本)、ツチガエル(日本人)、ウシガエル(中国)、スチームボード(米軍基地)、ハンニバル兄弟(空・陸・海自衛隊)などが判りやすく表現されている。

百田尚樹氏は日本と言う国を憂う

因みに、著者の百田尚樹氏といえば最近ヒットした映画や小説の『永遠の0』でも有名で、この小説も映画も拝見したが、勿論作品の永遠の0は戦争モノになるが、0はゼロ戦の零になるし、ゼロ戦の特攻隊員の物語だが、物語としては反戦ものではなく、かといって勿論、戦争を賛美している物でもなく、愛する家族の物語なのである。

 

特攻であっても生き残るための合理的思考の源泉は、お国のためではなく、徹底的に家族への思い

 

一方、その後に発行された新書の「大放言」も帯の部分に炎上覚悟で書いたと本人がいっているようで、特に言いたかったのはマスコミへの批判であり、近年では表現者や言論者が、下手なことを言うとマスコミにバッシングされるということから、誰もがそれて思い切ったことが言えなくなり、その結果毒にも薬にもならない発言ばかりになっているということなどが述べられている。

 

確かに、最近の日本社会の風潮と言うか、空気は確かに寛容が少なくなった角ばった社会に進んでいるようにも思うのは百田氏ばかりではないようである。

私事の感想で、大先輩の草野心平氏のこと

ところで、私は福島県のいわき市の出身であるが、高校の大先輩に草野心平氏がいる。

 

先生は文化勲章を戴いたほどの大人物だが、いわき市内の小さな村の出身であり、「カエルの心平」ともいわれた人物で、田んぼの中のカエルの事を例えて多くの詩を書かれた大詩人でもある。

 

彼は岩手県の有名な人物である宮沢賢治を世に送り出した人物としても知られている。

 

彼はその詩集である「第百階級」のなかに、「蛙はでつかい自然の讃嘆者である」、「蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである」、そして「蛙は明朗性なアナルシストである」 と書いてある。

 

つまり、前述した百田氏の「カエルの楽園」の三戒に似ているところがある。

 

そして草野心平は、カエルは自然の中に組み込まれ、他の生物の食料になる可能性の中に生きていることが、他の生物を食料とすることに正当性がある。

 

だが、人間というのは自然の枠の外に出てしまって、しかも食物の連鎖の頂点に立っている。従って、地球上での自然の一員としての正当性はもはやない。互いに殺しあうことによってのみ、その正当性を無理やり見出している。

 

そして、生き方に幸、不幸を唱えるならば、自然の中で悪夢を持たない「カエル」のなんと幸せなことと、「カエル」を賛美している。

 

百田氏の「カエルの楽園」は、何か草野心平のカエルの思考に通じるところがあるような気がする。もしかしたら百田氏は日本や日本人を見ているのに対して、大先輩の草野氏は自然の中の人間を見ている点が面白いところである。